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岡山大学 耳鼻咽喉・頭頸部外科Department of Otolaryngology–Head and Neck Surgery

学生・研修医の皆さんへFor Students & Residents

先輩からのメッセージ

赤木 成子 (1975年 山口大学卒)

現職:岡山赤十字病院 耳鼻咽喉科 勤務(非常勤医師)
略歴:1975年山口大学医学部卒業。同年岡山大学医学部耳鼻咽喉科学教室に入局。国立松山病院・四国がんセンター、神戸市立西市民病院、国立岡山病院に勤務。1981年岡山大学医学部耳鼻咽喉科。1981-1983年米国クレイトン大学にexchange visitor として留学。1986年岡山赤十字病院 耳鼻咽喉科部長。同年岡山大学大学院卒業。2016年岡山赤十字病院を定年退職。非常勤医師として引き続き同病院に勤務、現在に至る。

耳鼻咽喉・頭頸部外科になろうと決めたきっかけ

 私が卒業した当時は、研修医と呼ばれる身分を国が決めて間の無い頃で、現在のような臨床研修システムはありませんでした。卒業と同時に入局する科を決めなくてはならず、手術ができる科を比較しているうちに、耳鼻咽喉科がおもしろそうだとの思いに至りました。私は岡山生まれで家族が岡山におり、岡山大学医学部耳鼻咽喉科学教室に入局しました。

入局してよかったこと

 入局してみると学生時代に想像していた以上に、耳鼻咽喉科は診療の範囲がバラエティーに富んでいました。耳、鼻、咽頭、喉頭、気管(一部疾患)、頸部とそれぞれ構造も機能も異なり、それぞれの所見を正確にとれるようになるには訓練と経験が要ります。しかし入局後早期から手術を執刀させてもらえました。勿論、はじめは簡単な手術からですが、新しい手術を経験できるたびに充実感を味わうことができました。全員がすべての分野を一通り経験できるようにと配慮されていました。そのうち各自の得意や興味から主にする方向が少し分かれていき、私は耳科手術に最も興味を持ちました。

現在のお仕事やご家庭の様子

 耳鼻咽喉科は手術ばかりではありません。私が入局した年に岡山に日本初の難聴幼児通園施設ができました。その創設には岡山大学耳鼻咽喉科が中心となって関わっており、大学から幼児の診察や検査に定期的に出向いていました。これは今も続いています。私もかなり関わらせて頂き、現在は同施設の監事を務めています。耳鼻咽喉科では難聴の他に平衡、嗅覚、味覚、発声・言語、嚥下、呼吸等の障害の診療を行います。
 私は長く岡山赤十字病院で働いていますが、一般病院では専門性を示しつつも耳鼻咽喉科全般の診療をするのが一般的です。そのため広い領域の修練を積めると思います。
 ところで私には三人の子供がいますが、以前は医師の育児休暇や時短勤務はもちろん、女性医師に対する配慮はほぼ無く、実母が家事・育児の大部分を引き受けて助けてくれました。最近は社会環境が変わり、医師にも育児休暇や時短勤務があり、夫婦二人で頑張って子育てしながら働いている医師が多数います。働く女性が増え、妻が医師である男性も増えており、男女ともに協力し融通しあう機運は徐々に高まっていると思います。
 現在の私は勤務日数を少し減らし、超高齢となった実母の世話をしながら働き、手術もしています。

皆さんへのメッセージ

 耳鼻咽喉科は診療のバラエティーに富んでおり、手術をしたい人だけでなく、手術が苦手な人にとっても選べる診療範囲は広く(ここでは全てを述べていませんが)、長く興味の持てる科だと思います。岡山大学耳鼻咽喉・頭頸部外科学教室は出身大学による差別はなく、その人次第で道を開くことができる教室(医局)だと思います。多くの方が私たちの仲間になって下さることを期待しています。