学生・研修医の皆さんへFor Students & Residents
先輩からのメッセージ
福島 邦博 (1990年 岡山大学卒)
現職:医療法人 さくら会 早島クリニック 耳鼻咽喉科皮膚科 院長
略歴:1990年岡山大学医学部卒業。同年岡山大学耳鼻咽喉科入局。国立岡山医療センター耳鼻咽喉科研修医。1994年岡山大学大学院卒業。1995年〜1997年米国アイオワ大学医学部耳鼻咽喉科に留学。1997年岡山大学医学部耳鼻咽喉科 助手。2000年同講師。2014年新倉敷耳鼻咽喉科クリニック院長。2017年より現職。
基礎研究の楽しさ
私が岡大での初期研修をはじめ、同時に大学院での研究を始めた平成2年(1990年)当時は、頭頸部癌におけるヒトパピローマウイルス(HPV)検出を目標に来る日も来る日も免疫染色を行っていました。免疫染色でのHPVの検出は、この当時市販されていた抗体では検出できず、毎週研究日の夕方に真っ白のプレパラートを眺めるのは本当に苦痛な日々でした。苦しんだ末に見つけたのはPCRという当時出始めたばかりの技術で、深夜の共同実験室に一人残ってDNAシンセサイザーを操作してプライマーを自作する所から始めました。当時は「PCRとは何か」(核酸をin vitroで合成する)を誰かに説明をするのも難しかったものですが、コロナ禍の現在、毎日の様に発熱外来で一般の人から「PCRやってくれ」と言われる時代が来るとは思ってもみませんでした。
アメリカ基礎研究留学
その後、大学院を卒業して米国に留学すると、positional cloningを研究戦略として難聴の遺伝子を探し当てる、という研究を始めました。やっぱり今なら自動機器で簡単にできる様な技術ですが、当時の最新PCでも一週間くらい統計計算をさせないと結果が出ない(で、出てきたフレーズが”syntax error”のこともある)様なことを散々やっていたものでした。その後この領域は急速に進歩して、現在は難聴遺伝子診断を外注の保険診療で実施できる様になりました。難聴の遺伝子を見つけて、難聴の診断や長期予後の予測が早期に付く様にする、というのはこの留学時代の遠い目標でしたが、これがほんの20年ほどの間で実用化されたということは、その一端を担っていたものとしては感慨深いものがあります。
帰国後に実感した聴覚研究の発展と現在の仕事の関連
さらにその後、帰国して新生児聴覚スクリーニングや人工内耳の医療に関わる様になると、アウトカム研究として臨床研究のデザインを考える様になりました。難聴児の現状についてのアウトカムを考える際には、どれほど客観的に日本語の言語発達評価を行うことが出来るのかというのが大きな問題でした。感覚器障害戦略研究として全国の難聴児の言語発達を見ていく仕事をさせていただき、現在私は耳鼻科の一般的なクリニックの他に児童発達支援事業所「キッズファースト」を経営しながら、自分で人工内耳の手術をした子どもたちのフォローアップを行っています。またアウトカム研究の経験は、ある製薬会社の開発顧問を行いながら新薬開発に関わらせていただく経験にもつながっています。
皆さんへのメッセージ
この文章で私が皆さんにお伝えしたいのは、大学病院での研修を通して、最新の医療や医学に是非たくさん挑戦してみて下さい、というメッセージです。それは将来の「普通の医療」を作り上げることにつながっていくのです。かつては「治療法がない」と言われていた疾患に、一から対策が積み上がっていき、そしてそうやって時代や世界が動いていく様子の目撃者となる(そのエンジンの一つとなる)経験はきっと多くの高揚感と、喜びを皆さんにもたらしてくれると思います。
米国に留学している頃にはさすがに自分でプライマーの合成はしなくて良くなっていたのですが、共同ラボにプライマーを注文すると、伝票にはよくこんなフレーズが手書きで書いてあったのを思い出します。
“Happy hunting! (ハンティングを楽しんで)”
皆さんの研修期間が、是非ワクワクするものでありますように!